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株式会社矢野は、化学薬品・染料・プラスチック原料・成形機・関連設備の商社として、みなさまへ価値あるご提案を続けます。


〒379-2312 群馬県みどり市笠懸町久宮115

矢野園 矢野店蔵と当主の居室 展示についてEXHIBITION

 矢野家の初代当主、久左衛門が近江国蒲生郡日野から当地へ来たのは1717(享保2)年
 のことと伝えられている。

 以来、雑貨の行商から身を起し、二代久左衛門が現在地に清酒醸造の店を構え、屋号を
 近江屋とし自身は近江屋喜兵衛と名のる。
 そのかたわら質商を営み、次第に財を蓄積していく。

 四代久左衛門のとき、味噌・醤油醸造も手掛け、1791(寛延3)年には、ゑびすや
 清次郎の清酒株を得て、商売を発展させた。
 さらに、1868(慶応4)年、七代久左衛門は今泉村の名主石原丈助の醸造株400石
 を借り受け増石。
 この頃には、店構えの様子は、ほぼ現在の間取りと同じ規模と考えられ、土蔵は逐次、増設
 していったものと思われる。

 1873(明治6)年、八代久左衛門は、醸造部門を本店、荒物・薬種・染料部門は支店
 とした。

 現在の矢野本店脇の通称酒屋小路の南側の地である。河窪三袋の「四阿街況図」はこの時
 に書かれたものである。
 1902(明治35)年、九代久左衛門は、新たに呉服・太物部門を増設し、営業範囲を
 拡げていく。

 十代久左衛門は、1927(昭和2)年、本町五丁目へ桐生で最初の百貨店を開店
 (矢野呉服店)し翌3年に銘茶部門を創設し、それぞれを支店とした。

 本居室は2階建て木造和風建築で日本間の二間(8畳・9畳)からなり、通り側の店舗階上
 の10畳二間とは別に棟を構成する。
 昭和戦前期までの矢野商店の経営方針は、当主の委託を受けた支配人が商売を取り仕切って
 いた。

 支配人はこの居室を使用した。当主は、年に一度、国許から当主が各営業地を廻り、来桐
 した折には各種帳面類の精査と勘定の把握、営業方針の確認などをするため、通りに面した
 店階上の二間を使用した。

 通常、支配人は店と地続きの1階で執務をした。支配人は年数回、近江(滋賀県)へ赴き
 営業報告をした。
 店員(奉公人)は、日野出身者で固め、妻子を国元に残し、単身赴任という形態をとった。

 年に二回、60日から90日間ほど、国元へ帰国させ、帰国の際は必ず当主宅を訪問して
 営業・近況報告をするという帰休制度を採用した。

 身分は、後見人、支配人、支配脇、回り役、店番、小僧という序列があり、商売にあたって
 は自らを律し、信用第一に考え、目先の利益を追うよりも堅実に顧客と互いに利益を分かち
 合う共存共栄を旨とした。




1階(写真をクリックすると大きく表示出来ます)
 ※写真の商用利用/再配布/転載は禁止と致します。
      

    

        

    
    


2階(写真をクリックすると大きく表示出来ます)
    
    

    

              

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バナースペース

矢野園 

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群馬県桐生市本町2-6-30

TEL 0277-45-2925
FAX 0277-45-2935